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BLOG 2019/02/19
平和記念資料館の改修工事見学会

平和記念資料館

先日、建築士会の呼びかけで、平和記念資料館の耐震改修工事を視察してきました。ご報告いたします。

 

-平和記念資料館って知ってますか-

広島に住んでいる人は、必ず知っている建物ですよね。でも、この建物、誰が設計したかご存知ですか。建築を志す人は誰もが知っている丹下健三さん(1913年-2005年)です。ご出身は、愛媛県今治市です。

 

-丹下健三とは-

日本では「世界のタンゲ」と言われたように、日本人建築家として最も早く日本国外でも活躍し、認知された一人。第二次世界大戦復興後から高度経済成長期にかけて、多くの国家プロジェクトを手がけた人です。また磯崎新黒川紀章槇文彦谷口吉生などの世界的建築家を育成した人として知られています。

 

-平和記念資料館を建てるようになった経緯(広島市都心の都市計画を計画する)-

原爆投下で壊滅的被害を受けた広島は、丹下健三にとって外国の雑誌でル・コルビュジエのソビエト・パレス計画案と出逢い、建築家を志した想い出の地でもあった。その広島の復興計画が戦災復興院で候補にのぼっていることを知るに及んで、残留放射能の危険性が心配されたにもかかわらず、丹下は志願して担当を申し出た。浅田孝大谷幸夫ら東大の研究室のスタッフとともに1946年の夏に広島入りし、都市計画業務に従事した。その成果は、広島市主催の広島平和記念公園のコンペに参加した際、見事1位で入選という形で結実する。

 

-平和記念資料館に対する評価-

資材の払底した第二次世界大戦時中ならびに第二次世界大戦終決直後に若年期を過ごさざるを得なかった丹下健三にとっては、広島平和記念資料館は事実上のデビュー作である。

1955年(竣工、開館)

コンクリート打放しの端正なプロポーションを、都市的スケールのピロティで大地から軽々と持ち上げることによって、広島の焦土からの復興を力強く印象づけ、第二次世界大戦後の日本建築はここから始まったと言われるほどの記念碑的な作品ともなった。コルビュジエのスイス学生会館やソビエト・パレス計画、またユニテ・ダビタシオンの影響だけでなく、法隆寺厳島神社の伽藍配置、また正倉院伊勢神宮桂離宮などの日本建築の精華にデザインソースを求めた。これら一連の広島ピースセンターの建築によって、西洋起源のモダニズムと日本建築の伝統様式は初めて記念碑的レヴェルで結晶し、丹下はこの広島計画をもって、CIAM(シアム・ 近代建築国際会議)に参加し、その名を日本国外に知らしめた。

 

-今回の平和記念資料館の改修工事

今回の記念資料館の改修工事の目的は、東館と本館(どちらも丹下健三設計)の見学導線を変更し、同時に展示レイアウトを変えることがメインのようだ。同時に、できるだけ、当初の設計の状態に復元することを目指しているとのことだ。大切な見学導線である東館と本館の通路は今回の工事で拡張されている。それと共に、建物の耐震化を図るために、地下階は免震構造を採用している。今回、その展示レイアウトの変更と、免震構造の建設の様子を見学することができた。施工業者は、株式会社大林組だ。

 

-本館と東館の拡幅工事の様子-

本館は2006年(平成18年)7月5日、わが国の戦後建築物としては初めて、国の重要文化財に指定された。よって、本館の構造体を見学通路拡張の為とはいえ、結果として重要文化財を当初の姿から改造することになり、その申請には多大の苦労があったと、現場案内をしてくださった工事担当者から説明があった。

 

-展示室-

当初のコンクリート打放し仕上げを再現する努力がなされている。

 

-免震構造―

もともと、平和記念資料館本館の基礎構造は、ベタ基礎で、杭がなかったようです。今回の工事で、既存の基礎梁をサンドイッチのように、新しい基礎梁で、両側からはさみ、それを、プレストレスコンクリート工法で、PC鋼線で、引っ張って止めています。(田村さんが、広島市発注の庚午保育園の耐震改修工事で担当された工法です。詳しくは、田村さんに聞いてください。)

今は、あらかじめ、地中から杭を何十本か出して、その上にジャッキを取り付け、基礎を浮かせていました。平和記念資料館全体が、宙に浮いている感じで、不思議な光景でした。

ベタ基礎を下から見ることはなかなかできないので貴重な機会でした。

私達の見学の後、免震構造のゴムが、新たに設置された基礎の上に設置されるようです。免震構造のゴム自体を見れなかったのは残念でした。

 

-感想-

スーパーゼネコンの大林さんの現場はきれいで、整頓されていました。現場員も何人もいて、安全のため、見学者20名ほどを3名の現場員が親切に誘導してくださいました。当日は、あいにくの雨で寒い一日でしたが、とても、気持ちの良い現場でした。

 

今回も、最後まで読んでいただき誠にありがとうございました。

柿田でした。